ピアノ講師紹介

TANABEピアノ教室講師 たなべすみこ 紹介 

< 経歴詳細 >

ピアノは4歳の頃から習い始めました。当時エレクトーンも人気でしたが、私はピアノの素敵な音に魅了されピアノが上手に弾けるようになりたくてレッスンに通っていました。小学2年生の時に習っていた先生に目をかけて頂き、音楽大学を勧められました。
その頃の私は幼すぎて、音楽を大学まで学べるなんて素敵!と漠然と思った程度でした。でも、その先生の言葉はずっと私の胸に残っていました。
引っ越しを何度かしている関係で、その先生とはすぐにお別れしたのですが、今思えば、その先生の言葉がなかったら今の私は無いように思います。
先生の一言って大事ですし、その子の人生も左右する位の影響力があると実感しています。

★小学生時代

音楽を本格的に学びたいと思ったのは小学6年生の時で、周りの先生方に相談した所、音楽大学を目指すなら一刻も早く専門的な勉強を始めなければならない、とアドバイス
され、将来は音楽大学のピアノ科に行きたいと決意し、中学校は音楽科のある中高一貫校を受験しました。
運よく合格し、地元では音楽で有名な少人数制の学校で、ピアノの実技からソルフェージュ、楽典、聴音など、音大受験に必要な勉強は全て学校で教わりました。

★中学、高校生時代

今まで公立の小学校に通っていたからか、いつも合唱の伴奏は先生から直接頼まれた為、オーディションなど受けたこともなく、鼓笛隊の指揮も先生から指名され任されていましたので、地元ではちょっとした有名人でした。小学校の時は足も速かったので、常にリレーの選手だったというのも手伝ってましたが・・・
でも、音楽を目指している子が集まった中学校では、少しピアノが上手い位では全然レベルが違い、周りのすごさに圧倒されました。
正直、それまでの私は普通にピアノを習っていただけなので、ソルフェージュや聴音の基礎は全くなく、周りのレベルの高さに戸惑いました。

★苦手だった聴音

中学高校時代はほとんどピアノの練習やその他専門的な勉強に専念。この時の聴音の授業で、確実な絶対音感も身に付けました。
でも、聴音は本当に苦手でした。一番苦労したと思います。聴音はクラス分けをされるのですが、いつも下のクラスでこのままでは受験も無理なのでは?と思い、先生に相談をしたことがあります。その先生は私に「大丈夫!ある日突然出来るようになるから」
私は、絶対気休めだ!!と思っていましたが、しばらくしてその先生の言葉通りになりました。日々の訓練って本当に大事なのだと実感しました。因みにうちの学校の聴音は本当に難しかったです・・・東京藝術大学や桐朋学園大学を目指す人が多かったので、そこに照準を合わせていたのだと思います。

★シンクロとの出会い

周りの友達も皆音大を目指す子ばかりで、切磋琢磨しながらピアノ技術や音楽性を身に付けていきましたが、その環境は私にとってとても窮屈なものでした。スポーツも大好きだったので音楽漬けの毎日に正直辟易していました。中学入学して慣れてきたころには、もう学校を辞めたいとまで思うようになりました。
そんな時、学校で付いてたピアノの先生から「音楽に合わせて体を動かすスポーツをしなさい」と勧められました。音楽に乗って演奏することが苦手だった私に、違うアプローチでそれを克服させようと思ったのだと思います。

その頃ちょうどシンクロナイズドスイミングがオリンピック競技になり、音楽と水泳が融合したシンクロが世間に知られるようになりました。
学校を辞めたい!という私の様子を懸念した母が、隣駅にあるシンクロの教室を探してきました。水泳も音楽も大好きだった私は、体験に行くや否や「これだ!!」と思いシンクロナイズドスイミングを始めました。

ピアノの先生のアドバイスで始めたシンクロですが、全てが音楽漬けの学校が窮屈で発散する場所として当時の私は本当に助けられました。
ピアノ以外のことをすると怒られる学校だったのですが、そのピアノの先生(学校内ではとても偉い先生でした)のお陰で私はピアノ科でありながらシンクロを堂々と続けられました。
中3の夏にはジュニアオリンピックにも出場するほど頑張ってシンクロの練習もしました。
学校でも音楽科の生徒でありながらシンクロもやっていたので、ちょっと有名でした。そんな生徒はいなかったので・・・

そしてシンクロのお陰で学校を辞めることもなく、無事に国立音楽大学ピアノ科に合格出来ました。シンクロは私にとってかけがえのないものとなりました。


★大学時代

国立音楽大学器楽学科ピアノ専攻に入学後、篠井寧子教授のもとで学びました。私は、篠井先生のレッスンが大好きで先生の優雅な雰囲気と穏やかな口調、説得力のあるレッスンで、大学時代楽しんでピアノを弾けたことは本当に感謝しています。思えば私は先生にすごく恵まれていて、専門的に学んできたのに一度もレッスンで嫌な思いをしたことがなかったです。弾けない自分に苛立ったことは何度もありますが、ヒステリックに怒られたり理不尽なことを言われた記憶がないので、ピアノを嫌いになったことが一度もないのは、すごく幸せなことだと思います。

大学では、音楽の教職課程を取り教育実習にも行きました。(母校ではなく都立高校で実習しました)
教育実習で忘れられないのは、高校2年生の授業。鑑賞の為にピアノを弾いて欲しいと先生に依頼され、その時練習していたリストのハンガリー狂詩曲13番を弾きました。
高2の音楽の授業では、男子はほとんど寝ていたのです・・・ちょうど体育祭が迫っていて練習で疲れている生徒が多くいました。音楽の時間はお昼寝タイムでした・・・でも私がピアノを弾き始めた途端に徐々に起き始め、最後はびっくりするほど盛大な拍手。
音楽の力を肌で感じた瞬間でした。
次の日から休み時間には職員室に生徒が押し寄せ「先生、これ弾いて」と、色んな曲をリクエストされました。ちょっとしたピアニスト気分を味わえました。


★就職

卒業後は音楽の仕事に就きたいと思い、色々と就職活動をしましたがことごとく駄目で、唯一ご縁があったのが航空会社、全日本空輸株式会社でした。
それも客室乗務員という職業。あまりにも違う世界にドキドキしましたが、違う世界に飛び込む期待感もありました。実は国内線の飛行機に乗ったのは、入社後の勤務が初めてでした。初乗務前日に、自分は乗り物酔いすることを思い出し・・・酔って仕事にならなかったらどうしよう、と不安に襲われたことを覚えています。でもその心配は無用でした。そんな酔っている暇もないほどCAの仕事は過酷で忙しかったので。

ここで本当に色々な人と出会い、色々な国に行き、沢山のことを学びました。とても魅力的なお仕事だったと思います。
印象に残っていることは沢山ありますが、国際線に乗務していた時のこと、私がニューヨーク行きのファーストクラスのパーサー(責任者)だった便で、なんと、世界的チェリストのヨーヨー・マ様がご搭乗されました。ファーストクラスではパーサーが全てのお客様にサーブするので、こんなに光栄なことはなかったです。
その時のクルーで後輩のCAが、私が音楽大学出身であるとヨーヨー・マ様に伝えてくれ、降機の際にはわざわざ私の所まで大きなチェロを担いで来られ「音楽はずっと続けて下さいね」と言って頂き、握手もして頂きました。人間的にも本当に素晴らしい方でした。一生の思い出です。

飛行機でのお仕事は10年近く続けました。その間も音楽は続けていまして、会社から羽田空港でのクリスマスイベントでの演奏を依頼されたり、音大出身の同期と空港コンサートを企画して開催したり、社内イベントでの演奏も頼まれました。会社員だった10年は本当に忙しく時には辛いことや落ち込むこともあり、そんな時には決まってピアノを弾きたくなり、音楽によって癒され立ち上がり復活していました。何度も何度も・・・
音楽があったから、過酷な仕事も長く続けられたように思います。色々な人生の場面で音楽が私の支えになったことは言うまでもありません。

★現在

その後退職し長男を出産後、自宅にてピアノ教室を開きました。 

そして出産後シンクロも再開して、今現在も大人のシンクロチームに入り、練習を続けています。 これも私のライフワークの一つとなっています。
そして、2023年に所属しているシンクロチームで世界マスターズ選手権に出場し、銅メダルも頂きました!


音楽だけではない私の様々な経験を、教室に通ってくれている生徒達には色々な形で伝えて行けたら、と思い日々レッスンしています。

異色の経歴ですが、色々な経験は全て繋がっていて、無駄なことは一つもないと実感しています。努力していればチャンスは必ずやってきます。
そのチャンスをきちんとつかめるように日々頑張る。そして何にでもチャレンジしてみる。その積み重ねで人生は開けて行くように思います。

その1歩として、一緒にピアノを始めてみませんか?
お読み下さった方と素敵なご縁がありますことを願っています。